皆さんこんにちは。
今日のネット旅行はイタリアの火山の噴火に飲まれた大都市ポンペイです。

あの後ろの方に見えるヴェスヴィオ火山が西暦79年に噴火して、火山弾や火山灰によってこの街は壊滅してしまいました。
ん?79年?そうです。今の2020年から1941年前です。日本だと弥生時代くらいですね。稲作とかが始まったくらいかな。
発掘されたのが1748年です。その間ずっとこの街は火山灰の中にうまっていたのです。

こんなに綺麗に残ってるものなんですね。ちなみに歩道と車道に別れているんです。真ん中が車で端が歩道。なんか昔だとみんな歩いているイメージですね。

ちなみにこういった壁画は修復されておらず、色は当時のまま!凄い色使いですね!ポンペイレッドと呼ばれているとか。70年代の色がほとんど劣化なく残ってたのは皮肉にも、火山灰を主体とする火砕流堆積物が湿気を吸収してくれ、温度もほぼ一定に保ってくれたからだと言われています。まるでタイムカプセルのようですね。
これこそ!古代のロマンてやつですわ!!

そして変わらず、レンガ造りの建物だらけですね。
そしてポンペイの凄いところは上下水道が整備されており、パン屋やクリーニング屋など社会生活が形成されていました。

こんな釜的なものが残ってます。凄いですよね!しかも崩れず、風化せず。時がまるで止まったよう。

ちなみにこれ水道です。さすがに蛇口じゃないですけど、町中に水を送っていたんですね。削れてるのはこれは人が触ったりしたからと言われました。発掘されてからたくさんの人が触ってきたでしょうからね。
そして、ポンペイと言えばこれも有名です。

画像は加工してあります(笑)
この石膏でできた横たわっている人。これは火砕流に飲み込まれて亡くなった人をかたどったものです。
どうやってこんな型どりが出来たのか??それは、人が亡くなってずっと放置しておくと考えたくないですが、肉体は腐りますよね?肉とか野菜とかほっとくと腐るってことを想像する方がいいかも(笑)
そして最後は土に還るというように、最後には跡形もなく分解されます。
そして分解された後に残ったのが火山灰の空洞だったということです。そこに石灰を流し込み型どると。あら不思議!人間の形になっちゃった!!ということです。

老若男女の石膏型があり、亡くなったそのままの姿で残されています。中には子供を抱えて亡くなった母親の姿もありました。亡くなった時の表情や髪型まで残されていました。
ちょっと怖いですが、当時のことを知ることは出来ますね。

別の場所に当時使っていた陶器の食器やツボなど日用品ががそのまま残されています。これだけでも見る価値がありますね。
ポンペイと言えばたくさんの人が集まる街でした。要は繁華街のようなものも。
ここでクエスチョン!このマークは何を表しているでしょうか??

わかった方はコメント欄へ。
まぁち〇こです。ストレートすぎるじゃろ!!ってツッコまれたり、石が飛んできそうですね。福井のカズさん風に言うとおふぃんふぃんです。
まぁこの先売春宿ということです。沢山あったことからポンペイは快楽の都市と呼ばれております。結構沢山あったようですよ(笑)

あとはしっかり神殿もあります。この神殿の柱もパルテノン神殿のようですね。信仰の対象もあり、本当に社会生活が形成されてたのが驚きですね。あんな古代に。これこそ古代のロマンや!!
悲劇の街と言われるポンペイ。その街は古代の文化を今に伝える街でした。段々と止まっていた時が進み始め崩れたりすることもあるようです。補修も必要になるのかな。発掘されたのが良かったのか悪かったのか、、、難しいですね。

しかし、古代のロマンがたくさん味わえる都市になっています。ていうか古代のロマンそのもの。近くにはレストランもありますので海を見ながらパスタを食べるのも乙なものです。
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